「まずできることから始めましょう」という言葉は、デジタル化の文脈でもよく聞かれます。着手しやすいところから実績を作り、徐々に範囲を広げていく。一見、合理的に聞こえます。しかし、その積み重ねが、本来解くべき課題を永遠に後回しにし続ける構造を作り出しているとしたら、どうでしょうか。

小さな成果を積むことと、大きな論点を先送りしないことは、矛盾しません。ただ、両者を同時に意識しなければ、戦略は少しずつ形骸化していきます。本稿では、優先順位の決め方をめぐる一つの誤解と、その誤解が組織にどのような歪みをもたらすのかを整理してみたいと思います。

本稿で問いかけること
  • 「Implement Minimum(最小限の実装)」はなぜ「できることから始める」と混同されるのか
  • 難易度と価値の四象限において、なぜ高難度・高価値の施策は着手されないままになりやすいのか
  • 「何を先にやるか」という優先順位の設計が、部分最適をどのように再生産するのか
  • デジタルの力は、なぜ組織やビジネスユニットの壁を越えてこそ発揮されるのか
  • 経営として、中核課題に早期着手することの意義をどう考えるか

1. 「最小限の実装」が「できることから始める」に置き換わるとき

1-1. Think Maximum, Implement Minimumの本来の意味

下記関連記事「言語化が意思を形にする」の中で、Think Maximum, Implement Minimumという考え方に触れました。最大限に構想し、最小限に実装する、という原則です。

ここでいうImplement Minimumとは、「構想の中核にある機能を、過不足なく最小限の形で実装する」という意味です。後から拡張できるよう設計しながら、今必要なものを過剰にならない形で作る。それが本来の意図です。

ここで確認しておきたいのは、Implement Minimumが「小さく作る」を意味するとしても、「易しいものから作る」ことを意味しない、という点です。最小限実装すべき対象は、着手しやすいものではなく、構想の中核にあるものです。この違いを取り違えると、優先順位の設計そのものがずれていきます。

1-2. 「着手しやすさ」が「重要性」にすり替わるとき

ところが実際には、「最小限」という言葉が、「手のつけやすいところから始める」という意味に読み替えられることがあります。難しいことは後回しにして、今できる範囲で動かしていこう、という判断です。

この読み替えが生む問題は、優先順位の軸が「重要性」から「着手しやすさ」に静かにすり替わることです。着手しやすいことには着手しやすい理由があります。関係者が少ない、影響範囲が限定的、技術的な難易度が低い。しかしそれはしばしば、組織全体への波及効果が限定的であることとも結びついています。

2. 四象限の優先順位論が見落としていること

2-1. 「易しくて価値が高い」から始めよ、という教え

プロジェクト管理やDX推進では、下図のように難易度と価値の二軸で施策を整理し、クイックウィンから着手する考え方がよく用いられます。

図表1: 優先順位を考えるマトリックス
効果と難易度で施策を整理する四象限マトリックス。第一象限はクイックウィン、第二象限は戦略投資、第三象限は小さな改善、第四象限は見送り候補。

このうち、難易度が低く価値が高い第一象限(クイックウィン)から着手せよ、というのが定番の処方箋です。この考え方自体は間違いではありません。早期に成果を出して組織の信頼を得ること、実績を積んで次のステップへの足がかりを作ることは、変革推進において意味があります。

ただし、問題はその先にあります。

2-2. 高難度・高価値の施策はなぜ放置され続けるのか

難易度は高いが成し遂げたときの価値も高い施策(第二象限)に、いつまでも手が届かないことが多いのです。

クイックウィンが片付けば次はそちらへ、という想定があるかもしれません。しかし実際には、早期成果の施策は次々と補充され、中核課題は常に「次の次」に置かれ続けます。難易度が高い、コストがかかる、部門間の調整が複雑、経営の判断が必要--といった理由が積み重なり、結果として長期にわたって放置されることになります。

ここで問いたいのは、クイックウィンへの着手をやめるべきだということではありません。長期戦略上の中核施策への着手を、早期成果の取り組みと「同時に」始めることはなぜしないのか、ということです。

同時着手とは、すべてを同時に実装することではありません。中核課題について、構想の整理・要件定義・部門横断の調整・責任主体の確定を、クイックウィンの実行と並行して始めることです。難易度が高い課題は着手から成果まで時間がかかります。だからこそ、着手が遅れるほど実現時期も後ろ倒しになっていく、という論理が成り立ちます。

2-3. 優先順位の設計自体が、部分最適を再生産する

ここで一度立ち止まって考えたいのは、問題は部分最適そのものだけではない、という点です。何を先にやるかという優先順位の設計が、部分最適を再生産してしまうことがあります。

たとえば、営業部門の入力負荷を下げるツールの導入はクイックウィンに置かれやすい施策です。一方で、営業・受注・請求・カスタマーサポートを横断して顧客情報を統合する設計は、難易度が高く後回しにされがちです。しかし後者を先送りにしたまま前者だけを積み重ねると、個別最適な仕組みだけが増え、全体としての一貫性はむしろ失われることがあります。

「何から始めるか」という判断の積み重ねが、気づかないうちに全体設計の可能性を狭めていくのです。

3. 部分最適が先行するとき、デジタルの力は半減する

3-1. 部門をまたいで解くべき課題が、先送りされ続ける

クイックウィンを積み重ねていくうちに、本来ビジネスユニットや部門の境界をまたいで設計すべき課題が後退していきます。「まず自部門でできる範囲で」という発想で個別に着手されていくと、それぞれには合理性があるように見えながら、全体としては繋がらないシステムや、重複した投資、共通化できたはずの基盤の分散が積み上がっていきます。

長期戦略上の中核施策の多くは、まさにこのような「部門をまたいで解くべき課題」です。一つの部門では着手しにくく、経営の判断と横断的な体制が必要になる。だからこそ難易度が高い。そしてだからこそ、着手の判断は経営にしかできないのです。

3-2. デジタルの力は、壁を越えてこそ発揮される

以下の関連記事「デジタルのパワーを認識し戦略の起点に置く」でも論じましたが、デジタルの本質的な強みは、柔軟に変えられること、横展開しやすいこと、自動化できること(Flexibility・Scalability・Automation)にあります。これらは、一つの事業や一つの組織の中に閉じているときには、その力の一部しか発揮できません。

顧客データの活用を例に考えてみてください。一つの営業部門が自部門内でデータを整備・活用しても、それは改善の域を出ません。しかし、マーケティング・営業・カスタマーサポートにまたがる形でデータが統合され、顧客体験の全体設計が変わるとき、デジタルは本来の変革の力を持ちます。横展開しやすいこと(Scalability)とは、そのような「構造をまたいだ展開」を、追加コストを抑えながら実現できることです。

部分最適のデジタル化を積み重ねることは、これらの強みをあえて局所にとどめることでもあります。それは、本来広がり得た成長の可能性を早い段階で狭めてしまうリスクをはらんでいます。

4. 難題への早期着手は、長期戦略の実行そのものである

4-1. コストをかけるべき理由が、戦略にあるかどうか

難易度の高い課題に早期に着手することへの躊躇は、多くの場合コストへの懸念に起因します。時間も費用も人材も、相応にかかる。それは事実です。

しかし問いたいのは、そのコストをかけることが経営の戦略として正当化できるかどうかです。長期戦略の中に位置づけられているならば、そのコストは単なる負担ではなく投資と呼べるはずです。問題なのは、戦略として意義があるにもかかわらず、難しいというだけで着手が先送りされることです。

難しい課題は、着手する意思決定と実行体制に、それだけ明確な根拠と覚悟が必要だということでもあります。中核課題に早期に着手するという判断は、長期戦略を今から実行していくということに他なりません。

4-2. 経営者に求められるのは、「両方を同時に動かす」設計

クイックウィンの積み重ねと、中核課題への早期着手は、二者択一ではありません。前者は組織の推進力と信頼を作り、後者は長期の成長と構造変革を支えます。経営として必要なのは、この両方を同時に設計し、動かし続けることです。

中核課題への着手を経営が決断しなければ、組織の中の誰もその判断をすることはできません。予算、人材、権限、部門横断の調整体制--これらを整えることができるのは、経営だけです。この点については下記関連記事「DXはなぜトップダウンでなければ進まないのか」でも論じています。

早期の成果だけに目を向け、長期戦略に根ざした施策を先送りし続けることは、目先の達成感のために成長の可能性を狭めていることになりかねません。そのような選択をしないための視点として、Think Maximum, Implement Minimum--最大限に構想し、そこから逆算して最小限に実装するという姿勢--はここでも有効です。

結び

「できることから始める」という言葉は、着手を促すための合言葉として機能することがあります。しかしその合言葉が、中核課題を後回しにし続けることを正当化する言い訳に変わっていないか、定期的に問い直す必要があります。

優先順位を決めるとき、難易度という軸は確かに重要です。ただ、難しいから後でいい、ではなく、難しいからこそ今から始める、という逆の論理が成り立つ課題があります。

デジタル化の優先順位は、単なる実行順序ではありません。どの課題を先に引き受けるかという判断の積み重ねの中に、その組織が何を成長の核とみなしているかが、静かに表れてきます。

執筆者プロフィール

粕谷英雄
サマーオーシャンコンサルティング

ソフトウェア開発、情報システム刷新、DX推進などの実務知見をもとに、デジタル化に関する意思決定を支援。デジタルを経営に活かすための視点や推進の考え方を整理して発信しています。