DXを進めるには、現場の理解が必要だとよく言われます。これは確かにその通りです。既存業務の流れ、手作業の実態、例外処理の多さ、現場が抱える不便や工夫を知らずに、良いデジタル化は進みません。ですが、その理解をそのまま「変革の主導権も現場にある」という話にまで広げてしまうと、DXはいつの間にか、今のやり方を少し便利にする改善活動へと縮んでいきます。

今回考えたいのは、現場改善と変革のあいだには、似ているようで越えにくい境界があるのではないか、という点です。

本稿で問いかけること
  • 現場理解が不可欠なのは、どのような場合か
  • 既存業務の改善と、DXにおける変革は何が違うのか
  • なぜ社長直下のDX推進組織を作っても、変革につながらないことが多いのか
  • 経営トップは何を決め、誰にどのような責任と権限を持たせる必要があるのか

1. 現場理解が力を持つ領域、持ちにくい領域

1-1. 既存業務のデジタル化には、現場理解が欠かせない

デジタイゼーションやデジタライゼーションの段階では、現場理解は極めて重要です。紙やメール、Excel、属人的な確認作業などを、システムやワークフローに置き換えていくときには、どこに手戻りが起きるのか、どこに例外があるのか、何が本当のボトルネックなのかを知る必要があります。

この段階で現場を無視すると、表面上は整った仕組みができても、実際には使われないシステムになりやすいのです。現場が日々の運用の中で蓄積してきた知見は、業務の背景理解そのものであり、改善の質を大きく左右します。

1-2. しかし、変革は現場最適の延長からは生まれにくい

一方で、DXにおける「X」、すなわち変革は少し性質が異なります。変革とは、今ある業務をそのままデジタルに置き換えることではなく、そもそも何を提供するのか、どのようなプロセスで価値を生み出すのか、どの組織で担うのかを見直すことを含みます。

ここで難しいのは、現場が間違っているからではありません。むしろ現場は、日々の改善を通じて、現在のプロセスに最適化されているからです。今のやり方の中で成果を出すよう工夫してきた人ほど、その前提の外側を考える必然性は小さくなります。だからこそ、既存プロセスそのものを不要にしたり、役割分担を組み替えたりする発想は、現場の延長から自然には出にくいのです。

この境界を曖昧にすると、その取り組みは「現場の要望をデジタルで支援すること」にはなっても、「事業や組織のあり方を変えること」にはなりません。

2. 変革は既存最適を壊す意思決定を伴う

2-1. 変革では、何を良くするかだけでなく、何をやめるかが問われる

改善であれば、今ある業務をどう効率化するかが中心になります。しかし変革では、今ある業務の前提そのものが問い直されます。たとえば、複数部門をまたいで人手で調整している業務を、単にシステム化するのではなく、顧客接点の設計から見直して、部門の切り方自体を変えることもありえます。

このとき必要になるのは、現場の納得だけではありません。既存の役割や評価、権限、部門の境界線を動かす判断です。そこでは必ず、抵抗や不安が生まれます。今までの努力が否定されるように感じる人もいるでしょうし、権限や裁量が変わることへの警戒も生まれます。

だから変革とは、単に良い構想を描くことではなく、既存最適を壊すことに伴う摩擦を引き受けることでもあります。

2-2. 現場の抵抗を説得する責任は、経営にある

この摩擦を、現場や中間管理職だけに処理させるのは無理があります。変革によって何を守り、何を変えるのか。その判断の背景にどのような戦略があるのか。なぜ今それをやる必要があるのか。これを説明し、納得の土台を作る責任は経営にあります。

ここでいうトップダウンとは、上から命令を落とすことではありません。変革の方向性を言葉にし、その一貫性を保ち、抵抗や混乱が生じたときにも後退しないことです。現場に理解を求めるのであれば、その前に経営が、自分たちの判断を説明できなければなりません。

デジタルを起点とした意思決定が重要なのもこのためです。単なる効率化ではなく、デジタルによって事業の構造や顧客体験をどう変えたいのかが見えていなければ、変革は「負担だけ増える改革」に見えてしまいます。現場を説得するには、経営が先に構想と戦略を言語化していなければならないのです。

3. DX推進組織を作っても、変革が進まない理由

3-1. 多くのDX推進組織は、変革部隊ではなく調整部隊になりがち

企業の中には、社長直下にDX推進組織を置き、構造上はトップダウンに見える形を整えているところもあります。ですが実態を見ると、その役割は、部門間の情報共有、事例展開、個別案件の調整、サイロ化した組織の橋渡しに留まっていることが少なくありません。

もちろん、それ自体に意味がないわけではありません。組織の分断を和らげることも、横断的な学習を促すことも重要です。ただ、それは変革の中心ではなく、変革の周辺を支える機能です。そこに権限も、実行力も、技術力も集まっていなければ、組織を置いただけで本当の意味でのDXが進むことはありません。

3-2. 社長一人の意思だけでも、変革は前に進まない

もう一つ見落とされやすいのは、社長が旗を振るだけでも足りないという点です。経営トップが変革の意思を持つことは必要ですが、それだけでは組織は動きません。構想を事業戦略に落とし、優先順位を定め、部門横断で実行し、途中で起きる抵抗や調整を処理し続ける役割が必要です。

その役割を担うのが、CIO、CDO、CTOなどのCレベルの実行責任者です。肩書きは企業によって異なっても構いませんが、重要なのは、単なる推進担当ではなく、経営の意思を実行可能な形に変換し、優先順位に落とし込み、部門横断の衝突や停滞を引き受けながら、継続的に前進させる責任者がいることです。

社長が夢と方向を語り、その下でCレベルの責任者がロードマップを引き、必要な人材と権限を束ねて実行する。この構図がなければ、トップダウンは掛け声に終わりやすくなります。

3-3. 技術者が力を発揮できるかどうかは、経営の本気で決まる

ITやDXの人材が足りないという話はよく聞かれます。ですが、単に採用市場が厳しいから採れない、という説明だけでは十分ではありません。技術者は、自分たちの力が本当に構造を変えることに使われるのかを見ています。変革の意思も権限も曖昧な組織では、優秀な人材ほど魅力を感じにくいものです。

逆に、経営が何を変えたいのかを明確に語り、それを担う責任者がいて、実行の場が整っている組織では、技術者は大きな力を発揮します。人材不足を嘆く前に、まず経営が変革を本気で進める構造を作れているかを問う必要があります。

4. トップダウンとは、責任と実行体制を経営が引き受けること

トップダウンという言葉は、ときに強権的な印象を伴います。ですが、DXにおいて本当に必要なのは、命令の強さではなく、責任の所在の明確さです。

経営トップは、何をどう変えたいのかを語る必要があります。なぜそれが必要なのか、どのような成長戦略につながるのか、変革によってどのような一貫性を組織に取り戻したいのかを示さなければなりません。そしてそのうえで、実行責任者を置き、実行部隊を組成し、必要な権限を与え、現場との対話の責任も引き受ける必要があります。

DXにおける変革がトップダウンでしか進まないというのは、現場が重要ではないからではありません。現場を生かしながら、その外側にある再設計を担う主体が、経営以外には置きにくいからです。現場の理解は土台になります。しかし、変革の方向を決め、抵抗を越え、組織全体を動かすのは、やはり経営の仕事なのだと思います。

結び

現場改善と変革は、連続して見えても、同じ種類の意思決定ではありません。前者には現場理解が深く関わり、後者には経営の責任がより強く問われます。その境界が曖昧なままでは、DXは改善活動としては進んでも、事業や組織の構造には届きにくいでしょう。

変革を支えるのは、理念そのものよりも、誰がどこまで引き受けるのかという設計です。社長が語るだけでも足りず、推進組織を置くだけでも足りない。そのあいだにある責任と実行の構造をどう作るかは、これからの経営にとって、ますます避けて通れない論点になっていくように思います。

執筆者プロフィール

粕谷英雄
サマーオーシャンコンサルティング

ソフトウェア開発、情報システム刷新、DX推進などの実務知見をもとに、デジタル化に関する意思決定を支援。デジタルを経営に活かすための視点や推進の考え方を整理して発信しています。